スポンサーサイト

  • 2019.03.01 Friday

一定期間更新がないため広告を表示しています

  • 0
    • -
    • -
    • -

    「本当に毎日」2月23日@西荻窪ニヒル牛 佐藤幸雄

    • 2019.03.01 Friday
    • 00:37

    2月23日(土)から3月7日(木)にかけて、西荻窪の雑貨屋“ニヒル牛”で『佐藤幸雄という男・展』が開催中です。佐藤さんの還暦を祝って、ご指名を受けたアーティスト、友人等からの愛情あふれる作品(絵、張り子、トートバッグ、オブジェ、スタンプ、スクラップブック、生原稿、インタビュー+写真+校正原稿、漫画、青春小説、ジン、海賊盤CD、ビデオ映像等)が出品、販売され、佐藤さんグッズも一気に大充実となりました(当ブログも、ロングインタビューと特別付録(フライヤー集)を加えた紙版の『Who Sellout!』を出展・販売中です)。

    それだけで十分なところにもってきて、佐藤さん発案でイベント内イベント「本当に毎日」だそうで、こうなると、2年半前の「基本毎日」、2年前の「基本毎週末」をさらに進めた3部作の集大成という期待が高まってしまう!! 今回は13日連続で計16回のライブを営業時間中の店内で無料にて行うとのこと(POP鈴木さんとのバンド編成でやる3回のライブのみお店終業後の有料開催)。でも何よりすごいのは「出せるものは全部やりますので(=ご本人のMCより)」の体現だろう(例えば現状6日目まで終わって、1回も同じ曲はやってない)。全体を佐藤さんの一つの真剣勝負と捉えれば、先が見えないところにどこかでぶつかるのだろうか、その時どうするのか、何が生まれるのか、これは見逃すわけにはいかない。それを置いても、各回、佐藤さんなりの構成をもって、新曲、旧曲(聴く側は魅力再発見あり)、日替わり名曲カバーありだから目が離せない。

     

    1.一体どれくらいのうた

    いったいぼくらはどれくらいのうた聴いたら気付くのか

    何度も聴いているはずなのに今日はこの言葉が身体に入ってくる。「歌」の祭典のオープニングにふさわしい出会いと発見の始まり。今回の「本当に毎日」で聴く歌から自分は何に気付けるかと思う。

     

    2.説明

    ふたをすればわからなくなってしまうことのふたをすこしだけでもあけてみようとおもう

    おもいふたがのっかっているばあいでもずらすことくらいはできるかもしれない

    佐藤さん流の社会的な歌の原点。

    トリビアですが、ニヒル牛に展示されている地引雄一さんのインタビューに添えられている静岡在住時の佐藤さんの写真の1枚は「あいていたトンネルがくずれている

    中断した計画の名残が残っている」という歌詞の元になった場所で撮影されています。

     

    3.選択と集中(新曲)

    泣く人も泣かない人も人、人、人

    減っていくものをひとところに集めていけば成長

    働く人も働かぬ人も人、人、人

    必要な人を骨抜きにすれば改革 惨めな成長」

    ことばは辛らつだが、印象は全てを飲み込んだ懐の深さを感じる新曲。インタビューで語っていた「音楽で社会を変えることはできないが、態度は世の中を変える力になる」という言葉を思い出し独りごちた。

     

    4.きみから目が離せない(きみの瞳に恋してる)フランキー・ヴァリの歌のカバー

    やっと現れた 生きてるってホントなのかな 目が離せない キミが好き過ぎ

    ステキなキミ ここにいてね

    「好き」が20回以上歌詞に出てくる。甘く優しい声で、その後のサビのパートでは、ギターをかきむしりながら、歌い上げる。よくできた似顔絵やパロディのようにギター1本でデフォルメしながら原曲の良さといろいろあった「70年代ポップス」の雰囲気を今に伝える(当時のシングル盤のフェードアウトを人力で再現)。

     

    5・ふとん

    昨秋の倉地久美夫とのライブで歌われ、てっきり新曲かと思ったら、絶望の友の最後のライブでお披露目された曲だそうで27年近く埋もれていた計算になる。以来最近何度か歌われている大好きな曲。庶民の日常のきらめきや喜び、温かさが伝わってくる。今回『佐藤幸雄という男・展』で一番人気のPOP鈴木の青春パンク小説(と書くと薄っぺらい感じだがそうとしか言いようがない大傑作)『僕と佐藤幸雄(絶望の友編)』の一部で話題になった妄想映画化に際しては、是非良いところでこの曲を使って欲しい。

    坂本九『見上げてごらん夜の星を』や千昌夫『星影のワルツ』から日本のフォーク、すきすきスウィッチの『天国』、といった佐藤さんの音楽のルーツともリンクしている。

     

    6・ここへきてはじめて

    いつだってマニュフェスト。そしてこの日のために作られたような曲。

    生まれてこのかたこんなに歳を取ったのは初めて

    ギリギリと相談しながら

    それなりに歳を取ってても初めて

    闇雲な予感だけで突き進み踏みとどまるつもり

    立てなくなるまでは立つ

    立たなくなるまでは立つという新たな一節も加わり静かな笑いを誘っていた。

    エレキとアコギの中間の響かないギュっと絞った感じのギターも最高で、歌詞と共に「基本毎日」のざらついた感触を思い起こした。

     

    7・顔見知り

    「ご一緒に」と言われ『かーおーみーしーり』とみんなで歌って第一部はほっこり終わった。

     

     

    佐藤幸雄とわたしたち『わたしたち2 』〜パンク世代の希望の歌〜

    • 2019.02.07 Thursday
    • 02:02

    佐藤幸雄とわたしたちの『わたしたち2 (ワタシタチノジジョウ)』(2019年2月6日 アルケミーレコードARCD-264)は、またしてもやってくれた傑作。1st アルバム『わたしたち』のコンパニオンとしてペアでだいじにします!

    かねてから、前作に入り切らなかった素晴らしい曲の数々を「何とかして欲しい」という期待はあったが、今回、ここ1〜2年の良い曲がたくさんと、すきすきスウィッチ時代からの名曲の数々が最高の形(わたしたちバージョン)で収められすごくすっきりしたし、これで『わたしたち』のこれまでがいったん完結したと言ってもよいだろう。

     

    とはいえ、前作と同じようなアルバムかというと、ジャケットの色の違い(1stは半透明の白、2ndは黒)にも似て、(断じて単純に明るく楽しい音楽ではないが)生き生きしてゴツゴツしたパンク/ロックであり、タイトで自由度の高いバンドサウンドが大きな魅力となっている。

    冒頭の『きっとうまくゆく』から、凄まじいピアノの連打と力強いとしか言いようのない演奏、声を枯らさんばかりのボーカルに鷲掴みにされる。

    『キャッチフレーズ』ではカワイイおじさん2人に混ざって柴草さんのリードボーカルも自然なカワイさ満開(佐藤さん曰く「(柴草玲のイメージを崩して)イイのかな?!」)のパーフェクトなパワー・ポップに仕上がり。

     

    また、歌詞を聴かせる=伝えるということについても、力が入っていて、ボーカルが一段とはっきり聴こえるし、歌詞に加え英語訳詞まで付いている。シンプルな言葉で複雑で豊かな世界を表現する「多層的な歌」の魅力が堪能できる仕掛けとなっている。ビターな世界の中に希望が見えるような歌。それは自ら生きる意志のみによって実現できるのだというパンクの精神を呼び覚ますものだ。

     

    『ぼくのたち』

     

    例えば『ぼくのたち』での「いつまでも、いつまでもって、そんなにもつものだろうか」とハードな自問自答の後で、ポストパンク的解体、流れるようなワルツに溶けてからポジティブに転じ「口角あげてゆこう」と大声で叫ぶ辺りの展開。

     

    『種と水』

     

    例えば『種と水』での、「どうしてもゆずれないものがだれにもあるように」「どうしてもゆずれないものがどこにもあるように」といったある種の断念と「おまえがこんなに種」「わたしがこんなに水」と補い合う部分の共存。これはすべてを飲み込んだ花や果実のような美味しい音楽。花や果実は遡ると『種と水』に行き着くから始まりなのだろう。

     

    『かくもの/かかれるもの』

    最後の『かくもの/かかれるもの』は、もはや、演奏がどうとか歌詞がどうという次元を超越した3人が全てを込めて大地を揺るがす圧倒的な音楽のパワーに茫然・恍惚とさせられる。3人ともスゴいが、柴草さんがピアノを両腕で抱え込むような感じで叩きまくる様からは、トランスの果てにピアノごと空に持ち上がっていくような錯覚に捕らわれた。

     

    音楽のエンターテイメント化、ファッション化(カッコいい音楽が好きな自分がカッコいい)に敢えて与せず、変わらぬ純粋・満面の笑顔でこんなに明るくて力強い音楽を繰り広げ進む佐藤幸雄とわたしたちをこれからも追っかけ続けて行きたい。

    sakana 5月20日 @マンダラ2

    • 2018.07.01 Sunday
    • 23:30

    かつてPOP鈴木さんもメンバーだったというサカナ。恥ずかしながら、音楽を一度も聴いたことがなかったのだが、その話をした時のPOPさんの何とも言えない表情(意外/残念/寂しそう)に導かれ、運良くその2週間後に行われた年に1度のマンダラ2でのワンマンに間に合った。そして、久々に、ライブであられもなく感動してしまったのだった。

    この日のサカナは、ポコペン(Vocal, Guitar)と西脇一弘(Guitar)のメンバー2人に、菅沼雄太がサポート・ドラマーとして加わった3人編成。

     

    冒頭、地の果てから発信されているような幽玄・神聖・静謐な『夜』から始まり、間もなくことばと演奏によるイメージの拡がりで身体が釘付けになる。

     この手に舞い降りてきてくれた愛すべき時間の送り主は 最果ての海の底 息をふきこむ

     太陽がやせ細り、やがて届かぬ場所に

     できることならば 見上げた空に向かい歩いて行けたらな

     また今夜も聞こえてこないかな コンチェルト

     窓を開けると鳩のホコリが消えた

     ふと振り返ると、何となくみんなきれいなのさ この道 あの河

     月の光に照らされて

    時を司る神様がくれたかけがえのない時間(precious time)と夜の魔法への感謝の歌か。内的な世界が共振し合うこと以外に何も混ぜないピュアな音楽、深く内面から発声される歌声は、この日のライブを始めるに当たっての捧げもの(敬虔な儀式)のように響いた。

     

    2曲目『アンジェリケ』ではグッドタイム・ミュージックな明るい感じに転じ、ちょっと男の子のような声や口調で、友達とのガーデニング作業の1日の輝きについて歌う。

     一緒にそう植えたのさ 〜 この空を飛ぶ鳥たちが舞い降りてくれる庭を夢見て 〜

     あれこれ話しているうちに木漏れ日が笑ったのさ 〜

     やがて夜が来ても、闇はどうしてもつかまえることができない 〜

     あとはワルツが行きめぐったのさ

    彼らの他の曲の多くにも共通するが、頭の中で自然に場面場面を思い浮かべてしまうような映像を喚起する歌と演奏だ。

     

    続く『モナ』では舞台を海外(燦燦と太陽が降り注ぐ南欧あたり)に移しての旅先での一期一会。目に映るものすべてが新鮮で、想像力を刺激してくれる、といった感覚がビビッと伝わる。

     小さな星にきらきらと 並べられていく朝食

     太陽はこの星を照らし飽きたりしないのかな〜

     朝毎にあなたが描いた夢が鮮やかで

     どんなに遠く離れても心は一つになって

     時間も国境も飛び越えてややこしいことなくなって

    ポコペンの中の欧米的な価値観やプライオリティの部分が良く出ている。曲後のMCでも「自分を取り戻してきました」と言っていた。

    『バウンティフリー』では、(設定が)日本に戻り、風を追いかけたり心は眠っていたりした自分に、友達との種まきが教えてくれた、足元の「時」、「自然」、「美しさ」への気づきを歌う。春の訪れのように明るくゆったりとした流れの中で、間奏のギターが、気が遠くなるような美しさだった。

     

    『暗くなるまで』は、夏の終わりの前向きな「別れ」の後でふと我に返り襲われる、理想の人生や生き方とのギャップ、焦り、逡巡、そしてまた湧いてきたポジティブな気持ちへの感謝と自分への励ましを歌う感動的な歌。このテーマと正直さでありながら、個人的な感傷や悲壮感をあまり感じさせないのは、永遠のテーマ(特にアートのように正解が自身を含む受け止める人の中にしかない場合)であることを分かって、長年、対峙し向き合ってきた強さなのだと思う。ゆえに見事に作品に昇華され、さらに3人の素晴らしい演奏によって、歌詞の底にある心の波動までが艶めかしく伝わってくる。

     夢中になりたい キミのように笑ってみたい とびっきりの世界を愛した人のように

     そんな風に願うのも それを邪魔しているのも なぜか心の中にあるものだったりしてさ

     暗くなるまで やっぱりもう少し歩こう きっとまた会えるよね

     グラッチェグラッチェグラッチェ

     

    このような具合にいろんなタイプの曲が続いていくのだが、『暗くなるまで』のような、理想の人生を追い求める苦悩や信じる気持ちについての歌は、2部構成の2部のほうで、新曲を含め、何曲か固めて歌われ、今のサカナにとって重要な部分を占めていることが推察された。

    『緑のベル』

     色あせていく約束たち どこへ行けばイイのかな 〜

     夜が明けて陽が昇って せめてキミはどこかで今日も24時間キミのままで 〜

     明日の今頃はもしかして向こう側に近づいているかな 永遠に近づいているかな

    『新曲(ティー)』

     ある日何もないところに キミ一人だけぽつんといた 〜

     何でも思い通りになるなら まず何をこしらえようかな 何をするために生きていこうかな 〜

     ここには朝がやってこないかな まず光の種を作らなきゃ

     少しずつ大きく育ったら 昼と夜が咲いて 1日になって 〜

    こうした現在地につき、格好つけずに(泣き言にも怨み節にもクダ巻きにも売り物にもせず)深く掘り下げ、立ち向かっていることに敬意と賛同を表したい。

     

    サカナの歌には、他にも、『ルピナス』『スカイ』『スマイル』『ミスティブルー』『ロッキンチェア』のような、ファンタジックな叙事詩(寓話から物語が飛び出して来て一緒に別世界に連れて行くようなストーリーテリングの惹き込む力が魅力)、『モナ』『ウィークエンド』『花束』といった旅の絵日記/音日記(とびきり美しいメロディと溢れるリフレッシュ感覚が魅力)、『アンジェリケ』『バウンティフリー』『ファン』『ブラインドムーン』といった日々の生活の中で心動かされたり引っかかったりしたこと(空や自然の風景、街、夜/朝、友達)がある。それぞれに魅力的だが、つまるところポコペンと西脇一弘の世界であり、魅せられた者たちは、その世界をまるごと共有したり伴走したり擬似体験するのが正しい楽しみ方のように客席の共感具合を見ながら思った。

    ライブのMCで、ポコペンがドラムの菅沼雄太に向かって「楽しく働かせてあげたいなって思って、そういう曲が出来なくて本当に申し訳ないなって・・。頑張りますから。ダンスミュージックとか(笑)」と呟いたのだが、個別の曲はそうであったとしても、本質や指向は人生賛歌なのではないか。自分を偽らずに心の底や頭の中の夢や願望や空想、悶々を表現するアーティスト魂、素晴らしい曲と演奏に(心地よく)打ちのめされた。ライブが終わって、帰る道すがら、思い出すと、見えてる景色や空気まで変わってしまう幸福な気持ちになった。今回、このタイミングで現在のサカナに出会えて本当に良かった。

    「試聴室で試聴会」

    • 2018.03.21 Wednesday
    • 01:35

    3月4日の「試聴室で試聴会」は、CD『わたしたち』発売記念イベント。春めいてきた日曜の昼下がり、みんなが自分の一番好きなことに没頭したりまったりしてる至福の時間帯に相応しいマニアックな企画(試聴+質疑応答+CD先行即売会)。フライヤの趣旨も一応理解し、感謝し、いそいそと駆け付けたわけだが、その一方で、心のどこかに、久々に揃う3人の演奏がないことへの落胆もあった。


    その後、この日は、質疑応答が「演奏」であったことに気付いたのは、しばらくしてテープを聞き返した時で、深く恥じ入った。

    CDが出来るまでは必要最低限の情報しか出さず(サラで接して欲しいという気持ち)、出来た後は聞かれれば何でも話すというスタンスの佐藤さん。他方、「質疑をする」という慣れない立場に委縮し、思うように言葉が出てこない観客(ファン)。そんな中での質疑応答は、自然と佐藤さんやメンバーがリードし、自己解説やメンバー間の質問も交えながら、うまい具合に話題が広がりながら核心に触れられていった。それは「(受け身で質問に答える)ファンサービス」とは異なる「自覚的な発信」であったが、決して台本的な展開ではなかった。「自分たちの音楽について言葉で語られるべきこと」が話の中から次々立ち上がってきたという感じ。制作の意図、過程(苦労・収穫)から、柴草さんを迎えたメンバーでの音作りや関係性まで、その話は、興味の尽きない内容だった。その場に参加できなかったファンや新たなファンのために、ここにちょっとだけ整理して公開します。 

    (文中、は参加者、は佐藤幸雄さん、はPOP鈴木さん、は柴草玲さんの略となります)

     

    1.今回のレコーディングの狙い 

    新メンバーで「物事が了解されていく瞬間」を掴まえたかった

    :まだ何回も一緒に演奏していない内にレコーディングしようという気持ちがあったと聞きましたがなぜですか?

    :柴草さんが入って貰って2回目(途中終了となったフジヤマ店頭ガンガンを除く)の時の録音です。だから柴草玲が一番大変だったと思うのですが、柴草さんは「そこ」に突っ込んでくれる技術と力を持ってるってことについて信じられたというのは絶対ある。あとは、前のメンバーの時にそういうタイミングを掴み損なったという反省もある。無謀かもしれないけど、「物事が了解されていく瞬間」みたいなものを掴まえさせて貰おうと思ってその部分を録ろうと決めちゃった。ボクもトラックダウンするに当たって相当聴いたんですけど、聴いてて未だ面白いんだよね。それは、柴草さんだけじゃなく、POP君も僕も、瞬間、相当、ちゃんと困ってることが良く分かるから。そういうものがある内は、演奏は安易なところに着地しない。そういうタイミングだと思いました。実際なんとかうまくいったし。まあ、この倍以上録音して使えたのはこれ位(半分以下)ではあったと言えばそうだけれど。

    2.選曲の基準と収録時間

    ―「大きなものが間違ってない」テイク、LPの「聞きやすい長さ」

    :どういう基準で選曲したのですか?

    聴いて、大きなものが間違ってないもの(細かいミス・トーンとかはあっても)を選んだつもりです。オーバーダビングはしてません。

    :何であの日、あんなに曲をいっぱいやったのでしょうか?

    :ああ、そういえば。それは何故だろうね。

    :しかも絶対CDに入れるワケがない曲までやりましたね。「水道管」とか。

    :まあ、そういえばそうだね。作品作りっていう目で言えばね。あの日何をやったんだっけ?

    :僕、セトリ持ってきましたよ。19曲。

    :これを見ると1部は7曲あるけど全然使えてない。温まってない。

    :全然温まってなかった。

    :1部の終わりの頃だよね。温まったのは。

    :そうですよ。いや、攻めてるわけじゃないけど、何でかな。

    :いや、やってみて初めて分かった。2枚組くらいできるかもしれないっていう目安でやってたのかもしれない?

    :でも、結果、めちゃ良かった気がします。

    締めてみたら46分、A4曲、B4曲みたいな感じになったのは、狙ったワケではないのですが、なんか聴きやすい長さでいいなと。(LPが当たり前だった時代に馴染んでるから)やっぱりそういう長さがいいのかなと。

     

    3.録音方法

    ―『Big World』方式での録音、緊張感の中で知識と技量を総動員した楽曲組立て

    :みなさんに協力してもらって「拍手をやめてもらう方法」で録音して、良いものができたと思っています。

    :録音方法は、何か参考にしたものはあるのですか?

    Joe Jacksonっていうイギリスのパンクの後に出てきた人の『Big World(1986年発表)というアルバムが、完全にライブ盤なのに、お客さんに拍手しないで下さいっていうやり方で作った。やり方としては完全に真似させて貰っています。ものすごく緊張感のある、なおかつ、音数が少ない(オーバーダビング全くしてないから)形で作られたアルバムで。その後、そのメンバーで来日して、見てるんですけど、すごく良いバンドだったので、それが頭に引っかかってた。2013年にすきすきスウィッチのレコーディングをした時に、1日だけライブ盤を録ろうって言って、その時にも同じやり方でやった。そのライブアルバムはおまけでしか付けなかったので流通してないですけど、僕はあれが好きなんで、ちょっとそれでやってみようと。ただ、Joe Jacksonのバンドと違うのは、向こうは、リハーサルを重ねて、どこへ行っても同じ演奏ができるバンドに訓練をした上で緊張感のある演奏を・・ということでああいうやり方をとったと思うんですけど、今回のこのアルバムでは、当日、本番前の1時間しかリハーサルの時間がなくて。

    :時間が取れなかった。

    :それなのに新曲が6曲も7曲もあるっていう過酷な状況で。(柴草さんに)あれは何でできるんですか?

    :できてるかというのは、チト分からないのですけれど、今のところまだ、すべて新曲ですね。なので、とにかく必死に目の前のことをやるっていうことしか考えなかった。最初のラフ・ミックスを聴いた時は、身もだえして、頼むから見ないで・・みたいな感じだったんですけど、ある程度普通の気持ちで聴けるようになると面白かったです。

    :僕らは少ない約束事で楽曲ができてて、とりあえずみんなに歌を聴いて貰うっていうのが成立の基本なんで。POP君も柴草さんも知識と技量を総動員して組み立てることをしてくれているから成り立っている。僕も欲が深いので、それが成り立つ上でもう一つ余計なことをしてしまう。それがうまくいってる間は大丈夫だなと思っています。

    4.録音時のメンバーの状況

    ―抑えながらプレイできたPOP 全然一緒にやってないのによくやる柴草、佐藤さんはこの何年間で一番歌ってる!

    :当日、「普段のギグより抑えた感じの演奏をしてる」と思って、前に佐藤さんに聞いた時には「そんな気持ちはない」と言われましたが、(他の)お2人はどうでしたか?

    :それは僕ですね。僕は完全に抑えました。なぜなら、10何曲渡されて、ドカンとやって(大きな音だと警察への苦情をする)2階の雀荘のおばちゃんと警察が来たら中止になっちゃう。まずは音量を落とそうと思ってやってましたので。だから前半がずっとCDに入ってなくて前半最後の『繁殖と交尾のため?』がCDの1曲目になったのは、あそこの時点では、もう僕も「これでちょっと休憩で休める」とかっていうのがあったから(笑)。で、ちょっと休憩して2人でやったんですよね、2曲くらい。そこら辺から、「もう、今日は大丈夫だな」、「ここから後でおばちゃんが警察を呼んでも、着く間に終われそうだな」、まあ、抑えながらですけど「プレイはできたかな」と。僕も「あんまりドカンってやってもなあ」って、ちょっと思っていたので。逆にそういう状況であればちょっと違う感じでやるのも面白いかなと。あと最後のほうに行けば行くほど緊張感で叩けなくなっちゃった。そんなに気張ってワァっとやってないんだけど、精神的に疲れちゃって。「大体この曲はこうする」とかいうのもない、終わり方も決まってない状態でバァっとやったわけで。ちゃんと終われた、終われなかったとか、そういうのを何曲も経て。でもまあどこかのスタジオに入って何度でもやり直しができるっていう普通のレコーディングではない感じが出せたので面白いと思います。これはあの日にここでしかできなかったもの。柴草さんもこの間入ったようなものですから。全然(これまで一緒に)やってないよこの人は、よくやるなあって、・・素晴らしいんだよ。

    :必死でした。録音の時、私は「抑える」なんて余裕なんて一切なくて、逆に「一部」はスゴい緊張していて。さすがに「さあ跳びます、拍手も無しです」という状態ってあまりに特殊なんで。もっと動きたいのに身体がまだ動かないというもどかしさがあって。で、演ってたんだけど、集中力は逆に前半で切れる訳ですよ。まあ良くあることで、ペース配分みたいなことがもうムリ、後半は茫然としてる状態で演ってたんですよ。とにかく歌を聴くしかない。でもちょっと気を抜くと集中力が途切れる。で、その瞬間が自分でも分かるので最初のラフ・ミックス聴いて、悶絶/大赤面みたいな。

    :記録だと思うんだよね、僕は。またね、佐藤さんの歌が、一番・・、「この何年間で、一番、わあ、すげー歌ってる!」、声が出てるし。「これは多分いいな」って思った。

    :ボーカルの処理とかリバーブとか全くしなくていい声が出るのと、増幅した音とそうでない音が両方イイ鳴りだという点でこの箱が大好きなんですけど。2階の麻雀屋のおばちゃんだけがネックで(笑)。

    :逆に「ここ」で良かった。何か「縛り」がないとああいうことはできない。僕はすごくバァっとかやっちゃうほうなんで、個人的には、奇跡に近い録音物だと思う。抑えた大人のプレイを録音できたっていうのはすごく嬉しい。

     

    5.ミックスダウン

    ーギターの5弦6弦がベース(ライン)という風にまとめて

    :ミックスに当たって何か注文したことは?

    :最初、ラフ・ミックスを貰ったのですが、「ピアノの音ばっかりバカでっかいバージョン」が来まして、柴草さんが震えたという(笑)。このバンドにはベースがいないので、ミキサーが音像をまとめるのにすごい困った。一緒にスタジオに入って、「ギターの5弦6弦がベース(ライン)だという風にまとめて貰えば大丈夫だから」というアドバイスをして、それから音がまとまり始めた。普通だとバスドラとベースラインを決めて、「上物」を乗っけていくスタイルが基本なんだけど、ウチはそれがないので。だからよく聴くとギターも低い音が分離してる鳴り方をしてる。

     

    6.デザインへのこだわり

    ーどうしてもやりたかった「文字の裏写り」と、わざわざ古臭い感じのレーベル&プラケース

    :制作に関しての「雑談」をいくつか。デザインは僕がやったのですが、どうしても透ける紙を使って文字の裏写りっていうのがやりたいなあと思って。で、ケースは、特殊ケースとかすごく多い中、わざわざ昔のプラケースの古臭い感じにして、でも紙はこういう感じでって希望しまして。 ダブルトレースという特殊な紙で印刷してくれる所は何とか見つかったのですが、紙の加工はしてくれない。折るためのミシン目とかが入れられないという意味で。じゃあ僕が印を付けるか、折って納品するから、と。まずこれケガキと言って千枚通しで線を引いて納めて・・ということで、ぱっと見、分かりませんが自主製作並みの地味な努力をしました。 CD面のレーベルは古臭いイメージで、1980年代のラフ・トレードがビクターで出していた頃のやたらCDっていうマーク[COMPACT disc DIGITAL AUDIO]がデカい不格好なデザインにした。「わ」っていうのは、昔の銭湯の開いてる時の、板に「わ」(=沸いた)って書いたものを出していた(裏側は「ぬ」(=抜いた))っていうので、「それイイな」って手で原形を書いて渡したらそのまま使われちゃった。

    :佐藤さんの指紋がもれなくついてくる(笑)。

    ㋛:ケガキという単語、初めて知りました。

    :すごくイイジャケットです。こんなこと僕が言うのも変ですけど。

    :ありがとうございます。鈴木君に言われると・・(嬉しい)、でも中身も良い感じにはなったと思うし、一安心です。

    7.「わたしたち」の演奏について 

    同じことをやったらいけないー

    :僕は、ふだん、自分の演奏って、それほど聞くことないです。頭に妙に残っちゃうことがあるので(ものごとを作る手前のところはちゃんとやらなきゃとは思っていますが)。ところが、このトラックダウンの作業で何十回も聴く羽目になって。そうすると、曲に全部、柴草のピアノが乗っている格好で聴こえてくるものだから、その後、一人でやるときに、そのフレーズが乗ってきちゃう経験をして、ちょっと不思議に感じまして。今後毎回そうやって弾いて貰わなくちゃいけないのか、それとも、もっと違うものが入ってきたほうが良いのか、今後のことではあるのですが。今まで「ここでこういうキメを入れて下さい」なんてことはほぼない・・。

    :ないですね。「キメがダサい」っていうポリシーのバンドですから。

    ㋛:2人に質問なんですけど、DUOでやるシーンで、全然違うことをやり始めることがあるじゃないですか。曲すら違うことを同時に始めるみたいな。今日も改めてDUOのパートを聴いてて「何であんなことができるのか」と、私はすごく疑問に思う。お互いの音は聴いてるんですよね?

    :すごい聴いてる。

    ㋛:聴いてて、でも、それぞれの道をひたすら行ってるワケですよね。不思議でしょうがない。

    :「聴ききながら」なんですよ。佐藤さんは『人んちには人んちの』、で、僕は『彼のおみやげは何かな』っていうのを、同時にやれそうだな、と。やってどうなるかは全然分からないけどやってみたらどうなるかと。

    ㋛:ものすごい集中力なんですよね。一瞬気がゆるんだらすぐ崩壊しそう。あれどうやってやってるんだろうって。

    :僕はもう「佐藤さんを釣らせよう」と思ってやってます。

    ㋛:あー。

    :でも、釣られない。僕が釣られる感じの時もある。でもまあ別にイイんじゃないかな。

    :できますよ! 今度やりましょう。

    ㋛:私、釣られる自信ありますね。

    :柴草さんならできますよ。ちょっとしたことなんだよ。「どこに基準があるんだろうか」と思うとできなくなっちゃう。そういうことじゃないことを共有してるとできるようになる。3人メンバーがいて3人が違う歌を歌っていて、ある瞬間パっと合うみたいなことってできるはずだから。やってみようかと思いますけど。

    ㋛:私が参加するに当たって、幾つか参考音源を聞かせて頂いたのですけど、あの面白い・・。

    :Shaggs

    ㋛:そう、ああいうShaggsとか知らなかったりとか。面白いですね。

    :僕、柴草さんを迎えるに当たって「知っておいて下さい」ってことで、一つはMilford Gravesのドラムの演奏、もう一つは、エチオピアのAster Aweke(アスター・アウェケ)っていう人。彼女がディーヴァとしてフィーチャーされた、エチオピア初の色分けされたガールズグループYenga(エンヤ=「わたしたち」という意味)の動画は、4拍子と3拍子がポリリズムになっているところで女の子5人が歌い踊るっていうのが絵的に面白かったと思う。

     

    そしてさっき話が出た The Shaggs。60年代終わり頃のアメリカの3人姉妹のバンドで、「もの凄いヘタクソなバンド」としてどちらかといえば面白おかしいものとして聴かれているけど。何であれがアンサンブルとして成立しているかって言うと、3人が一つの同じ歌とメロディを聴いてるから。だから合わせられるんだ。それと、ドラムがリズムをキープしているのではなくてフレーズを弾いてる。リードギターの仕事と同じで、ドラムがコレ叩いたら次の歌を歌う、みたいな約束が3人の間でできてるから、あれは必ず合うと思う。通常じゃない歌の成り立ちをしている音楽も柴草さんに聴いて貰って、ちょっと「揺すって」臨んで頂いたというのはある。

    ㋛:全てが新曲のようなものなので準備のしようがないですし。よくミュージシャンはリハーサルの時にボイスレコーダーやスマホに録音してお家に帰って聴いておさらいしてみたいなことをする人が多いと思うんですけれど、そういうのってやりようがなくって。最初、録ろうと思ってたまたま忘れて、あ、これは録る意味もあまりないんじゃないかとそれも止めて。

    :最初のリハで2時間で10曲位、曲の指示を出されて、もうそれで。でも通しでやった曲は1曲もなくて。

    ㋛:こんな感じです、って。

    :それができるのは、僕もそんなに複雑な曲を書けてないから。AメロとBメロがあってあとは節目があるかないかくらいで。大体定型が決まってる。多分こう終わるんだろうなとか、こう来たらこう来るんだろうな、という。でも、今回繰り返しで聴いて思ったんだけど、柴草さんも攻めるよね、すごい。鍵盤弾いてる人って、「大体弾いてればイイ」ってなりがち(=このコード進行ならこれで決まり・・とかってなりがち)なんだけど、柴草さんの場合、同じフレーズを4回弾かないんだよね。3回位で「何か落っこちてきたな」みたいに思っていると、4回目が2拍3連で取ってみたり。遠目に突っ込んでみたりさ。その辺、多分、性分でしょう?

    ㋛:何か「ココに関してはそれをやっちゃいけない」ってヤツ。でも、キメ、というか最低限決まってるフレーズは絶対やったほうがいいっていうのは、ある。

    :同じことをやってると落っこちてくるからね。手が高く上がっているように見えるためには、少しずつ手を上げてないとダメなわけですよ。あと手を伸ばしているように見えるためには、手を前に出して向こうに持っていかなければいけない。同じことをやってると、絶対に何かが下がってきてしまう。🈡

    祝『わたしたち』CD発売

    • 2018.03.10 Saturday
    • 23:50

    遂に佐藤幸雄とわたしたちのファーストアルバム『わたしたち』が発売された。

    どこを切っても100%佐藤幸雄とわたしたちというCDが出来たことが自分のことのように嬉しく、毎日かけている。そうなると、久々に何か書いてみたくなる。この喜びを届けたくなる。

     

    元となった昨年109日の試聴室での「注文の多い演奏録音会」に参加していた者として実はちょっと心配もしていた。Joe Jacksonの『Big World』をお手本にしたという「一発録り」だったが、元々意図していた「(良い意味での)緊張感」以上の固さ(佐藤さんの言葉を借りれば「前半、暖まってなかった」)をCDでどう飲み込むのか。

    また、この日演奏された曲には(されなかった曲にも)たくさんの名曲がある。それをCDとしてどんなふうにまとめてみせるのか。

     

    たまたま知っていた(知ってしまった)ことは、割と早い段階(11)で曲目と曲順が 決まっていたということ(その時は表層的な次元で「ちょっと曲数が少ないなあ」と思ってしまった)。言い換えれば、佐藤さんの中ではその時点で今回のCDでやりたいことがつながって完成形が見えていた。だからただ楽しみに待っていればよかったのに、先日の試聴会までちゃんと良いものができるだろうか?と密かに気を揉んでいた。CDを聴いて驚くほど自然な流れ、ぴったりな感じの収録時間に膝を打った。これが閃きのなせる業か、スゴく考え抜いた結果か(おそらく両方)、何れにせよ、大胆な取捨選択、再構成により、「原形となるライブ(もちろんそこに全部あったものではあるが)」とは印象の異なる、全編、瑞々しさとある種のストーリー性を湛えた素晴らしいCD作品となった。優しさ、厳しさ(怒り)、楽しさ、悲しみが歌から演奏から溢れてくる血が通った作品になった。

    佐藤さんはそもそも何でうたを歌っているのだろう? その答えが冒頭の『繁殖と交尾のため?』で明かされる。

    「ヒトがうたうのは一体なんのため ヒトがうたをきくのは一体なんのため 繁殖と交尾のため?」という従来からの歌に、新たに「繁殖と交尾とそれ以外のため? 繁殖と交尾とそれ以上のため?」という歌詞が加わった。

    つまり、ヒト(とりあえずは佐藤さん)が歌うのは「繁殖と交尾」と「それ以外」と「それ以上」のためなのだ。特に珠玉の恋愛の歌の数々が封印されている(?!)このCDにおいては、繁殖と交尾「以外」と「以上」のうたが収められているということで、そういう稀有な精神を持ったCDなのだ。

    それを体現するように、強力な語り部分が追加され「羽があっても飛べないくせに! 足の数ばっかり多いくせに! 変態するヤツとかいるくせに! ちびのくせにはげのくせに! 薹が立っているくせに 収入もないくせに・・」といきなり切り出され、何だろう、これは?と思ったが、「鳥や虫がうたうのは・・ヒトがうたうのは・・」の部分に呼応して佐藤さんが、昨今、言いたいと思うところのことなのだろうと気づいた。

    心ない発言を敢えて口にすることで、その一面性や恥ずかしさを浮き彫りにし、その先に突き抜けるために歌っているのだ。

    また、この曲の柴草さんの流れるようなリリカルなピアノはVan Morrisonのアルバム 『Veedon Fleece』を思い起こさせる美しいもので、そうなるとPOPさんのタメのきいたドラムも『Veedon Fleece』的に思えてきて、佐藤さんのちょっと抑えた立ち姿も求道者のようなVan Morrisonと重なり、勝手に妄想の世界で盛り上がってしまった。

     

    続く曲もみな、一見、時空やテーマがバラバラなようでいて、共通して現在を射抜いている。生き苦しい世の中で感じていること、世の支配的な空気や人々への違和感や怒り・悲しみ、さらに自分に帰ってくる部分、といった佐藤さん流の社会派・人生ソング(=繁殖と交尾「以外」と「以上」のための歌)の数々だ。それは同じ収録日、『天国(今回CD未収録)』を歌う前にいみじくも発言していた「この場所で何とかしていこうと思っています」とも符合する「その先の一歩を踏み出そう」いうメッセージではないだろうか。

     

    最後に触れておきたいこと。 〔椶料阿捻藾佞靴討い襪茲Δ柄農欧蕕靴は寝察´∈監さんデザインの透ける紙を使ったジャケット(印刷屋では対応できないため佐藤さん自ら手折りしたそう)! B腓く「わ」の文字が書かれたレーベル(銭湯が沸いた時の「わ」と「わたしたち」をひっかけたもの) シンプルにしてモノとして愛着が沸くような制作は、内容共々、ロックファンの「お守り」に相応しいものなので、ぜひ騙されたと思って?!購入して下さい。

    「フジヤマガンガン店頭」9月23日@三軒茶屋フジヤマ てあしくちびる、杉林恭雄、佐藤幸雄とわたしたち

    • 2017.10.16 Monday
    • 02:00

    てあしくちびる

    冒頭、切れ間なく演奏した2曲『New Error』、『Dive to WATARASEGAWA』で、皆をすっかり魅了し、さらにその多くをファンにしてしまった (多分)。普通に言えば素っ頓狂な掛け声・合いの手、ヘンテコな歌詞(「ハリセンて鳴らなくたってOK・・」とか)、他に例えようがないちょっと変わった音楽。でも何かとても新鮮で刺激的でチャーミングなものを持っている。

    通りがかり(多分)の親子連れは、そのまま最後まで居ついてしまったし、普段は店内に籠りがちの渡辺さんもしっかり見ているし(終演後も打ち上げ終了まで 彼らのCDが永遠リピされていた)、そんなみんなを見ている佐藤さんも嬉しそう。

     

    昨年11月に佐藤幸雄とわたしたちの対バンで曼荼羅2に出演した際に初めて見たときと比べ、「楽曲のテンション」に「人前で表現するテンション」が重なったような過度の息苦しさが消え、音楽をやる楽しさや余裕すら伝わってきた。Kawauchi banri(ボーカル&ギター)の才気を包み込むように、くっちー(バイオリン&ボーカル)の自然体な存在感が増し、丁度良い頃合いになっている。(もちろん「フジヤマ店頭特有の時間のタメ(banriの命名)」の後押しもあっただろうが・・)

    それだけではなくて、2人チームとして、佐藤さんとかと同様、表現者の河を渡ったような(あっちの世界に行った)凛 としたすがすがしさと、ある種の凄みが加わった。

    くっちーが歌う『青春』の「あくまとてんしそれぞれとはなしたい はなしがしたい ほどけそうなむすびめを、はなさない、はなしはしないよ」という一節、2人で歌う『フェイントはしない』の「きみを連れだって深く潜る 気が触れたってダンスをする 着のみ着のままで飛び込む きみを連れだって深く潜る フェイントはしない」という歌詞が立上って聞こえてきた。また、ラストの『ペリ』では「くっついたらはがすんだよ」という印象的な言葉以外の機関銃のような歌詞はほとんど聞き取れないし、音楽的には全く異なるものの、その潔さ、跳ねる感じ、狂おしさはパンクと通じるところ大だと思った。その晩、打ち上げの席で、POP鈴木さんは「くっついたらはがすんだよ」と連呼していた。

     

    杉林恭雄

    くじらがライブを開始したという83年は、自分にとってライブハウスから足が遠のいた年、80年代的なサウンドや80年代ファッションが苦手ということもあり、くじら(だけでなくその年代)の音楽はこれまで積極的に聞いてこなかった。

    今回、生ギター1本で杉林さんがクジラの曲の数々を歌うのを聴けて良かった。歌われた曲は80年代というより、もっと懐かしい/人なつっこい感じだったりちょっとバンカラ風だったり。実際に『ふじの山(♪あたまを雲の上に出し 四方(しほう)の山を見おろして) 』のような小学唱歌が混ざっていても違和感なく聞こえて、こんな100年前への先祖帰りなんて楽しい手があったかと膝を打った。自作のメロディや歌詞も遜色なく良かったし、初めての聴衆にどう聞いて貰うかというコミュニケーション力も抜群だった。歌われている内容(物語やお話や風景)が自分の関心とは異なるので、強く入れ込むところまでは行かないが、偏見は払拭できたし、『青空』と『パノラマ』は名曲、気に入った。

    MCでも「佐藤君の頼みはだいたい断らない」と話していたが、そんな気のおけない先輩/後輩としても、音楽家として意識し合っているところも素敵な関係だと思う。

     

    佐藤幸雄とわたしたち

    『ひとんちにはひとんちの』

    始まってちょっとしたら、POPさんがいきなり「きみのおみやげは何かな」と『おみやげ』を歌い始めた。続きを歌いながら『おみやげ』のドラムを叩き始めて・・、と、佐藤さんも、ほぼ同時に、それまで通常の歌詞で歌っていた『ひとんちにはひとんちの』の歌詞を変えて「半島には半島のやりかたがあるからやいのやいの言わない」と歌い始めた。

    この過激にして絶妙な『おみやげ』の混入は「発明」だといたく感心しながらも、両方共、引きが強いため、左側のPOPさんと右側の佐藤さんの演ってること、歌ってることに、引き裂かれしばらく右往左往していた。そのうち、佐藤さんの『ひとんち』新バージョンの歌の世界が身振り手振り含めどんどん広がっていく。

    「空想してみよう、今あるこの場所の舗装をはがして 高い建物が一つもない あそこには川が流れている 向こうのほうにはお城がある ここは森だろうか 道が交わってるのはなぜだろう」

    「この国から出ていけというやつこそ出ていけ そしてしばらくしたらまた帰って来い」

    「ぼくたちは在日人だ、いまいるココで在日人だ」

    「海はだれの物か、誰もいない海にいきなり遠くから何か飛んできていきなり落ちるって何だ?」

    「あいつんちにはあいつんちの、おれんちにはおれんちのやりかたがあるから やいのやいの言わない」

    圧倒して終わった。元々の歌からつながって、別の歌と言っていいほど新しい、そして素晴らしい命が吹き込まれた。POPさんも、いつの間にか、繊細に凶暴に佐藤さんと響き合う、いつものドラムに戻っていた。

    後で佐藤さんに聞いたら、オープニングは『ひとんちにはひとんちの』にして欲しいとPOPさんから連絡があったが、『おみやげ』のマッシュアップ構想については全く知らなかったそう。茶目っ気たっぷりに「でもお返ししたでしょ」と語っていた。POPさんとしては「兄ちゃん」をびっくりさせようと「仕組んだ」のに「兄ちゃん」動じず、「ニュー・バージョン攻撃」でお返しされた格好だが、結果、良いバージョンとなって嬉しかったのではないだろうか。

    『あるじゃないか』

    「だいじなものがあるじゃないか」というポジティブなメッセージソング。そこだけ取り出すとシンプルだが、本当にだいじなものに気付くには、だいじじゃないものに目が眩んでいる自分や、だいじなものを見つめ損なっている自分に気付き、それらを改めるところから始めなければならない、そう簡単じゃないゾということも併せて分からせてくれる。今回、ドラムが人力DUBみたいな感じでレゲェ度がアップしサウンド的にも充実。

     

    この後、佐藤さんのトークのパート。

    「1回目のトラブルによる中断以降、考え方を改め、やりたいことから先にやってって、できなくなったら、その時はその時。だから今日はもう2曲で十分」

    「そういう気持ちでやり続けようと思ってますのでこれからもよろしくお願いします」

    つまりこの選ばれた2曲は佐藤さんの中ではつながっているのだろう。細かいことを言えばいろいろあるが、まずは、本当に大事なものを見失わないようにしようというメッセージなのかなと思う。。

    続いて演奏された『ここへきてはじめて』の「立てなくなるまでは立つ、言えなくなるまでは言う、感じなくなるまでは感じる」は、そんなやり続ける気持ちをそのまま表した曲。ある意味ずっと変わっていないのだ。

     

    この後、次回のライブの告知を行い、「で、この日はライブレコーディングだ!」と宣言。全然知らなかった。歓喜のどよめきの中で、起爆力のある『くるまにのって』『顔に顔』が演奏された。、それはまるで、花火大会のフィナーレの大輪の打ち上げ花火のように、この1ヶ月のイベントの最後を彩った最高のロックンロール!

    そして大トリの『やくにたってるかんじ』で、ややしっとり終わるべきところが、サビの回しがフジヤマ渡辺さんに渡ると、インディレコード店店長としてのメッセージあり衝撃の告白ありで美味しいところを全部さらって終わった、と思ったら、さらに、もう来ないと思っていた警官まで後ろに立っていたというオチ。佐藤さんの心配や考え方の変更は正しかった!

     

    「フジヤマガンガン店頭」9月16日@三軒茶屋フジヤマ 東京ローカル・ホンク、ウクレレアフタヌーン、佐藤幸雄とわたしたち

    • 2017.10.02 Monday
    • 01:45

    最悪ひどい雨でもぼくは現場へ行って

    来てくださるかもしれない「誰か」のために

    「何か」をするつもりですけれど

    (=佐藤さんのTwitterでの呟き)

    こんな呟きを見たら「(自分一人でも)行くしかない」と開始時間ギリギリに到着したら、何となく人も集まっていて、雨足が強まる前にと、東京ローカル・ホンクの演奏はもう始まっていた。

     

    東京ローカル・ホンク

    見逃した1曲目『おにぎりソング』は、あとでyoutubeにアップされたこの日の映像(全般に手撮り愛に溢れ必見!)を見たら、Bunky & JakeやNRBQなんかの感じのハモリ最高、生音最高のいかしたロックンロールだった。くやしい。

    間に合った2曲目『ヒコーキのうた』は、まだ成田空港が出来る前の羽田空港、外国が遠くて憧れだった時代に、羽田からさほど遠くない地元、戸越銀座で木下弦二が見ていた東京ローカルな風景&心象風景。

    零細な町工場やビル、昔ながらの商店や家がひしめき合っていても、小さな公園のブランコに乗れば草の萌える匂いがする下町。あんぱんと牛乳をのんびり食べたらどの町を通ってさあ帰ろうか‥。雲の隙間から聞こえるジェット機の音に「あのヒコーキで旅をするのは誰だろう」。ここではヒコーキは見近に目にするが音を立て傍を通り過ぎていく外の世界の象徴的存在。大砲の音に、「あの弾が抉るのはどこの大地だろう」というのはベトナム戦争のことか。

    自分たちが暮らしている現代から半分置き忘れられたような町と、漠然と想いを馳せる未だ見ぬ世界。肯定も否定もなく、当時、何気に溢れていた光景や空気やその頃の気持ち。大人になってその意味や貴重さに気付いて歌っているからこそ響く歌。

    彼らの音楽は、等身大のはっぴいえんどという感じのコクと陰りと余韻のある日本語ロック。心の引っ掛かりを掬い上げ、詩情豊かに、ユーモラスに、シニカルに表現した人懐っこい歌詞、魔法のようなハモリ、確かな演奏力とライブ映えするサムシング。やっぱりプロは違う・・、でもそれは彼らの才能と努力を持っては出来て当たり前のことだろう。むしろそこに安住しない/安住できないところが彼らを突き動かしている力なのだろう。『みもふたもない』という歌(「効き目のある祈りの言葉を教えて欲しいけどマイゴッドハズノーネーム」という一節がある)からはそんな思いが強く伝わった。ロックに、人に、自分達自身に、いかに素直で謙虚であれるか、それが予定調和ではない本物の音楽を求め続けていく原点であり、見失わず磨いているのだと思う。そんなある種の磁力で佐藤さんと木下さんが出会った。普通は出会わないものが出会って、佐藤さんを溶かし、東京ローカル・ホンクを溶かし僕らを溶かした。バンドと共にたくさんの目に見えないモノをこの場に持ち込んでくれた。バンド感、演奏に入った時の音の素晴らしい鳴り方、(演奏以外)終始子供のようにスーパー自然体な振舞い(特に物販・投げ銭大歓迎でございますと言う時に思った)・・といった個別のポイントもさることながら、ポンと自分たちを投げ出してくれたことで存在そのものの交感ができたこと。そしてジャンルの壁(自分の中でいつの間に築いてしまった)は、もっと大事なことの前では超えられること。

     

     

    ウクレレアフタヌーン

    高円寺の大陸バー「彦六」(お店の雰囲気も料理も大好き!)の店主、織田島高俊さんが率いるウクレレアフタヌーンは ロック系カバー中心の大所帯インスト(中心)・ウクレレ集団で結成27年。

    16人のメンバーが分散し、フジヤマ前の交差点の四方から"Twist And Shout" を弾きながら三々五々に集まって登場するアイディアにはびっくりしワクワクしたが、8人はオープニングナンバーのためのエキストラで、その後は店頭で8人メンバーで演奏。選曲は、Kinksの"You Really Got Me" Dick Daleの" Misirlou" The Maytals "Monkey Man" Ramones Rock N' Roll Radio Otis Redding"I Can't Turn You Loose"といった名曲をPUNK/NWなスピード感&アレンジでプレイ。織田島さんは明るくグイグイ攻めるし、曲の並びやアンサンブルも良く、演奏もうまいが、途中でコンセプトが見えてしまうと単調に感じて流れてしまった。通りがかりに遭遇したら、立ち止まって、イイね、ヤってるねと、もっと素直に笑って見入ると思うが、佐藤さんのイベントでという目で見ると、どうしても、オリジナルや唄ものもやれば良いのに・・とか、カバーをやるならデコボコで良いからもっとそれぞれの曲の深いところの良さを独自解釈して欲しいと感じてしまった。織田島さんは、ウクレレ音楽や自分が好きな音楽を聴く人たちの間口を広げたり、演奏の楽しみを分かち合うためにこのバンドを率いているのだろうから、この期待はお門違いかもしれないが、テクテクTVで見た織田島さんのソロライブは、味があって良かったのだ。

    佐藤幸雄とわたしたち

    「やりたい曲から順番にやっていきます」と説明/宣言があってスタート(前回も小さい声で同じことを言っていた)。だいたいいつも構想を練ってセットリストを作る佐藤さんだが、第1回の時に警察が来て途中で打ち切りとなった(自分も含め、聴衆の多くは気付かず、後で打ち上げになって知らされた)ことからの教訓だったが、それが、結果的にこのシリーズライブの密度を高めたという点ですごく功を奏した。

    『忘れてもいいよ』

    歌いだしの「とても大事なときにきみはいなかったね」のフレーズを聞いて思い出したのが、冒頭に引用した数時間前の佐藤さんの「ひどい雨でも来てくださるかもしれない「誰か」のために「何か」をするつもり」というツイート。そして、なぜかいろいろ繋がったというか、この曲は、佐藤さんが自分のために、自分の意志表明のために歌っているのだと確信した。そんな骨格と名曲の豊潤さに加え、骨太、繊細かつ伸びもあるような名演だった。勿論、東京ローカル・ホンクとのエールの交換a.k.a.異種格闘技戦の幕開けようなという側面もプラスに作用していたと思う。

    『むだ』

    続く『むだ』もすきすきスウィッチ時代のPunk/NWな歌もの。こちらは80年当時には他に誰も書かなかった「むだ賛歌」。「ぼくあなたにとても似てきたよ。だからこのままじゃともだおれ」というインパクトある歌詞は、今でこそあるかもしれないが、当時のPunk/NW界隈で、こんなindependentじゃなくて軟弱で但しその通りな歌詞というのは画期的だ。そこから「いのちがけでむだづかい」という予言的な結論に至るロジック/跳び方、曲調、焦燥感は紛れもなくNWの空気。40年近い時を経て、さらに全てやり尽くされた感がある中で、このメッセージは重要性を増している、というかほぼ真理と言って良いのでは?! また、この曲でのPOP鈴木さんの「いじわる/いたずらドラム」は最高にcoolでcrazyだが、全く動じない佐藤さんもスゴい! その昔、佐藤さんが当時やっていた「絶望の友」にPOPさんが加入した当初、佐藤さんからドラムが「走る」練習をさせられ、カルチャーショックを受けたそうな(それまではひたすらドラムが「走らない」練習をしてきたのに)。今回、すごく走らなかったり、or すごく走ったりしかできない壊れたドラえもんみたいなことをやってたのは30年殺し? でも仕掛けたら、相手はお見通しだったみたいな感じか。

    『ミドルエイジラブ』

    「古い友達が作った曲を・・」と前置きして、佐藤さんがPUNGOの頃一緒で、惜しくも2012年に亡くなった今井次郎さんの『ミドルエイジラブ』を歌った。佐藤さんは以前からたびたびこの歌を歌っていた。劇団「時々自動(今井さんが生前ずっと音楽を手掛けていた)」の『ミドルエイジラブ』のミュージックビデオも最近作られ、先日、「リハリハ4」でお披露目されたのを目にしたが、そちらは淡さ儚さを湛えたポップで美しいお芝居バージョンで、佐藤さんの、自分重ね、全身全霊、どうしようもなく裸のロックバージョンとは好対照。どちらも今井次郎さんへの愛に溢れているという点では互角。

    『なまえはまだない』

    続いて「この歳になると、結構、大事な友達が思ったより早く亡くなったりして・・」とまた前置きして(大事な友達が前の曲を作った古い友達と同じかどうかについては触れずに、何らか関連しているだろうという想像の余地を残しながら)『なまえはまだない』が始まった。時によっては、気持ちが激しすぎて上滑り気味になってしまうこともあったが、この日は、やりたい順で前曲とつながったのが良かったのか、フジヤマ店頭効果か、佐藤さんが前週口にしていた譲ろう/託そうとも関係しているようなこと等が合わさって2人編成のバンドではこれが頂点だろうと思われる最高バージョンとなった。歴史や自然の摂理に反し、捻じ曲げる位の、記憶を留め伝えていく意志が伝わった。

    あなたのよびさましたうた、あなたのよびとめたそのおもい、あなたが何とかしようとして形に残そうとしたこのワケの分からないもの、今もいつまででもここにいる。

    『ブルーカラー』

    微笑みながら「みんな働いてますか?」と問いかけてから始めた『ブルーカラー』。

    ことばの通じない人に囲まれて過ごしてみれば分かる。働いている世界は何処も同じようなもの。

    以前聞いたバージョンではディストーションを効かせた掻き毟るような弾き方で断絶感を伝えていたが、今回シンプルになって「ノーノーロケット、ゴーゴーミサイル」その逆パターンとユーモアが加わり逆に伝わる感じ。

    わたしたちのことばはさびしいことばだ 

    わたしたちのことばはわたしたちしかつかわない

    それをなんとかしようとうたやたいこでかざってみる

    これはロックの世界では通じることばを、働いている世界にも届けようという意味なのだろうか。

    そういうことをやっているのかと今さらながら感心/感動してしまった。

     

    ここまでで相当やり切った感あり。曲順、それは「なぜ」とかなくて、歌に歌わされているぐらいの自然に出てきたオーダー。一方、これで「転」とは「結」はいかに?

     

    この後、木下弦二さんから「聴きたい」とリクエストがあった『かくもの、かかれるもの』をきっちりきめたところで、木下さん、ウクレレアフタヌーンと共に『顔見知り』でエンディング。東京ローカル・ホンクの木下さん、ウクレレアフタヌーンの織田島さんとも、アドリブで、自らの顔見知りについて歌った。それは、3者が出会って交ざり合った美しい時間だった。

    Non Band 9月9日@東高円寺U.F.O. CLUB 

    • 2017.09.22 Friday
    • 23:08

    フジヤマガンガンライブの後で、Non Bandを見に行った。ハシゴはあまり好まないが(1つのライブを味わいたいほう)、ライブ通いを始めて1年、何度か見逃してしまったことを後悔していたので今回はどうしても見ようと思った。

     

    興奮した。36年前も最高だったけど、全然変わってない、というより、もっと良い!(少しだけあった性急さが熟成された感じ)

     

    何だろう、イントロを聞いた瞬間、次々と曲が蘇って来て、あの頃と今の境目が溶けていく。「しなり」も「跳ね方」も「タメ」も「うねり」も「思いきりの良さ」も全部Non Band。全盛期メンバーによるプレイ、弾き方、叩き方の特徴やクセのようなものまで一緒に蘇る。

    さらにNWのどこが好きだったかも思い出させてくれた。それは尖っているということ。

    NWがNWだった頃、誰もがオリジナルなビート、独自の世界を表現していたと記憶の中では美化してしまうが、Non Bandは日本でそれが本当に体現できていたバンドだった。とびきりタイトだったし、とびきりイマジナティブ(音楽的に自由奔放)だったし、メッセージや物語性も豊かだった。オリジナルだから古臭くならない。

     

    再結成されてから既に17年とのこと。客も入っていた(100人位?)し、既に若者を中心に幅広い層に見出されている感じで、熱い声援も飛び交っていた。自分がそうだったように、もし、往年の日本のパンク・NWファンで未見の方がいたら是非見て欲しい。こんなタイムマシンみたいなことってあるんだ?!とビックリして興奮してすべてに感動すると思うのだ。

     

    まだ未来が見えなかった頃の未来に向かって濁流のように迸るマグマ。高揚感。生命力(生そのもの)本能のままのパワー。この開放的な気持ちはNon Bandがもたらしてくれたものだった。

    そういえば、昔、ライブが終わると、ノンさんはすぐに客席に来て飲みながら誰とでも気さくに話していたというような光景を思い出した。顔見知りでなくても「ライブ良かったです!」と言うと、「ありがとう」と微笑んでくれる人。そんなオープンで自然体なパンクロッカーは、あの頃、他にあまりいなかったように思う(ジュネさん位か)。そんな人柄も変わっていないように見えた。この日、時間を気にしてサッと出てしまったが、今回も言いに行けば良かったとチョッと後悔している。

    「フジヤマガンガン店頭」9月9日@三軒茶屋フジヤマ 宇波拓、とんちピクルス、佐藤幸雄とわたしたち

    • 2017.09.19 Tuesday
    • 03:01

    宇波拓
    地べたに座った職人が何かを作っている(ような感じ)。観客はその姿を背中ごしに見たり伺ったりしている。これは一体?
    トントン金槌で叩いたりトントントントントン包丁で刻んだり、タットゥ・タトという井戸の水でも汲み上げてるような音・・。時に首を傾けたりしているから、考えたり会話したりしながら、デジタルとアナログを往き来し、表情を変えていく。時折差し込む旋律(シンセやハープによる繊細な通低音)も、そんな反復ビートを保つ潤滑油のようなシブい使い方だ。20分足らずで「終わりました」と告げて終わった。
    その思索が演奏であり、演奏イコール作品ということなのだと思う。聴き手も、次の瞬間どう展開するか分からない実演で一部始終を共有するからこそ体感できる面白さ。
    個人的には、もう少しジューシーで感情移入の余地を残した音楽のほうが好みだが、それはアーティストが決めることだし、「工場に置き去られた機械や工具やハープが奏でるブルース」みたいなイメージはこれはこれで良かった。

    とんちピクルス
    しんみりして、ほっこりして、大笑いした楽しい時間。
    佐藤さんはどうしても呼びたかったに違いない。
    大の大人が気持ちで呼んで、気持ちで(九州から鈍行列車を乗り継いで)来てくれる。そしてお互いの音楽で応えるのだ。
    そんな気持ちで繋がっている今回の企画は、ライブが素晴らしいことは半ば分かっていて、あとは、自分が出会った面白い人を一人でも多くの人に見せたい、聴かせたい、紹介したい(自分たちと参加アーティストのファンに、フジヤマの渡辺さんや客に、何かで知って興味を持ったロックファンや通りすがりの人たちに)という佐藤さんの気持ちがどれだけ伝わるかだ。

    とんちピクルスの冒頭の3曲(「かっこう夜風」〜「夜風」〜「夢の中でないた」)は、終わってる人生(自分への死亡宣告?)や破れた恋や夢についての歌だった。そんなbitterな内容をとびきり洗練されたマナー(きれいなクルーナー・ボイス、ウクレレの小音でnaturalな響き、sweet なメロディ、ペーソス混じりの詩的な表現)で歌う。この3曲は、とことんクールに現実を見つめている。それが引鉄となって、より自由に、より豊かに、よりエンターテイメントに再出発できたのではないだろうか。
    次の「鍾乳洞の長い旅」では、Lovely Musicのような穏やかな電子バックトラックに乗せて、卓越した洞察力・描写力、ストーリーテラーぶり&手ぶりで観衆を鍾乳洞に案内するのだが、頭から終わりまで「持っていかれた」。入口の土産物屋の壁のペナント、もう一つ別の洞穴の闇 凶暴な白い光 奇妙な時間のねじれ・・。Laurie Anderson の「O Superman」のビデオを初めて見た時と同質の感銘・感動を、何十年も経ってフジヤマの店頭で何気に体験することになるとは・・!
    ウクちゃんとネパちゃん(ぬいぐるみのメンバー)のラップユニットによる「パイパンラッピング」は振り付けの可愛さとディテールへのこだわり、掛け合いのくだらなさが最高。
    「どうだいドラえもん」は、ポップなボサノバに乗せた30年後ののび太の「大人宣言」。身も蓋もない明るい独白と心に抱える悲しみや願い。聴いていると、ついつい、とんちさんとのび太を重ねてほろりとしてしまう。
    その後は、口パク人形劇やエッチな曲、1人デュエット歌謡(手品入り)やらが続き、ちょっとそっち系(一般音楽/宴会向)の世界に傾いていくのだが、敢えてそれを週末昼間のフジヤマ店頭でガンガンやるってことも含めて(結構ウケてた)、思い出すだけで幸せになれるライブは終わった。
    これもパンクが産んだ素晴らしい人・才能だ(一見全然別の世界だけど深いところで繋がっている)。新しい曲も作られているのだろうか。改めてそういうライブも見てみたい。

    佐藤幸雄とわたしたち
    1曲目は、この日の朝できたばかりという新曲。ガツンと来る。何かが宿っているようなメッセージと波打っているギターとドラム。
    「変わっていく人、変わらない人、変われない人、変わってしまった人、変わらないと思ってたらまた変わってしまった人・・」
    これは移り気なファンや理解者のこと?、もう少し拡げて、ロックやある種の理念を共有できると思っている(いた)人たちのこと?
    歌では他にも、帰っていく人、どこかへ行こうとする人等、20以上のパターンの人たちが登場するが、ではその人たちは何なのか?どうして欲しいのか?いうことには触れていない。次いで衝撃のフレーズ、

    「分かっているとか分かっていないとか分からないが分かっているうちに譲ろう。
    譲られた人が笑っているうちに、笑ってくれるのがうれしいうちに」

    陳腐な発想かもしれないが、その場で聴きながら、この歌は(まだ先の)引退の序章なのかと思った。でも、会社ならさておき、そもそも佐藤さんが譲ろう/託そうと言っているものは譲れる/託せるようなものなのか。そういうものがあるとすれば、「ハイ」とか「頼む」と言って渡されるのではなく、この歌を聞いてしまった人の「今しかない」という気構えみたいなものの中にしかないのではないか。

    次はFrank Zappaの「Take Your Clothes Off When You Dance(踊るときは裸でいいんだよ 通称:自分の踊り方で踊ればいいよ)。「止まない気持ち」があれば何も持っていなくてもただ好きにやればいいんだという、ロックな価値観に溢れた素晴らしい歌(訳詩!)。6月に彦六で行われた「ロック訳詩集」のイベントで披露。彦六の夜の打ち上げで「何でこんなことをやっているか分かりますか?」と聞かれ「好きな歌を歌いたいということでは?」と間抜けなことを言ったら「そんなことじゃなくて、分かりたいことがあるからやってる」と言われたことがあった。この曲がその後折りに触れ歌われているのを見るにつけ分かりたかったことの答えがそこに見つかったのかもしれない。

    「人が歌を歌うのは一体何のため 人が歌を聴くのは一体何のため」と歌われる「繁殖と交尾のため?」。シンプルで力強い歌詞を一部思いっきり音程を外しながらも気にせず歌い切る。途中、佐藤さんのフォーキーなグルーヴを察知したPOPさんのドラムが炸裂して格好良かった!

    その後も、久々の「しあわせになろう」、「説明」、「ティラノ」(アンコール)と続いた。それぞれに興味深い2組の後で「これがオレの踊り方」みたいな力と心のこもった良いライブだった。

    「フジヤマガンガン店頭」9月2日@三軒茶屋フジヤマ エーツー2コ、後藤勇コントラバス弾き語りトリオ、佐藤幸雄とわたしたち

    • 2017.09.10 Sunday
    • 18:18

    2月の「基本毎週末実演」から早半年、9月の毎土曜日に、同じフジヤマで佐藤さんと渡辺さんのコンビの仕掛けで面白いイベントが始まった。渡辺さんお手製の素敵なチラシ↓

     

    「渡辺さんと今度何かやろうって話になった時に、(ぼくが)やってることを面白いと思っている人の中から、ここでやったら面白いんじゃないかなっていう人たちに声をかけました(てくてくTVの佐藤幸雄インタビュー)」

    佐藤さんらしい愛と手間のかかった嬉しい企画。

     

     

    エーツー2コ

    「一番、エーツー2コです」とNHKのど自慢のトップバッターさながらに明るく場を盛り上げた2コさん。歌って踊ってお菓子も配れるハイパーアイドルユニット「エーツー」を中学3年で結成(相方リーベは現在産休中)。自作のハイパーポップな曲を無伴奏で派手な振り付けで歌うパフォーマー。他の観客は、ギャグや感覚、言葉の遊びを丸ごと同時理解/反応し、かなり受けていたのだが、自分は断片的にしか分からず、また、これは演芸なのか? ギャグなのか?文学なのか?とか気になったりでうまく頭に入ってこなかった。追いつけない、凄さは分かるけど感覚が時々しか合わない、でもインパクトは強く頭に蘇ってくるモヤモヤ。

    で、物販で購入した著書「2コが野に遊ぶそうな〜植物散漫譚〜」を読んだらこれがすごく良い本で、同時にライブの時のモヤモヤも解けた。

    そこには小さい頃の想い出、現在やっている野ゲーキ(=パティシエがケーキを作るような感じで土の上に野花植物をきれいに盛る野あそび)のことなどがとてもイキイキと書かれていた。野ゲーキ以外にも現代日本から急速に失われてしまった(ことも忘れてしまった)自然の中に身近にあったいろんな遊び・楽しみのことが書かれており、現代文明に毒されていない現役ティラノ系?ならでは豊かさ、説得力に溢れている。

    そう考えると、自分が何となく馴染めなかった無伴奏の演奏形態も2コさんにとっては自然体なのだろうし、音楽、芸能、お笑い、文学、アートといった区分も無意味なのかもしれない。ここまできてようやく「楽器があっての音楽」という形式に囚われてしまっていた自分に気付かされた。肩の力が抜けたところでこれからもっと楽しめそう。

     

    後藤勇コントラバス弾き語りトリオ(後藤勇(vo,cb)、坂ノ下典正(g)、米本実(自作電子楽器)

     

     

    彼らが登場すると、まるでフィールド・レコーディングの場のように、街のあらゆる雑踏が粒だって聞こえ、観客までもが佇まいという楽器にして参加しているようなマジカルな雰囲気に包まれた。良い空気のような、ハンモックでうたた寝してるような、枯れたサボテンを元気にするような気持ち良い音楽。

    普段一緒にやっているクラリネット奏者の都合がつかないため、2歳半のお子さんがメンバーとして参加。置いてある楽器(タンバリン、笛等)をインスピレーションとバイブレーション(?!)で演奏。賛否両論あるかもしれないが、僕は良かったと思う。人前でパフォーマンスする高揚感、ドキッとするほどビシッと決まったりしっくり来ることが何度もあった。

    その日、終わった後でフジヤマ店内に入ると良い感じの音楽がかかっていて何とはなく耳をそばだてていたら、尋ねていないのに「中の人」さんが親切に「さっき演奏したバンドの黄色いCDです」と教えてくれた。お店で扱ってないアーティスト物販のCDを楽しそうにかける店員というのもフジヤマらしい?!ちなみにCDタイトルは「4 / 後藤勇コントラバス弾き語りカルテット」淡い黄色い絵のジャケットby萩原としみつでお値段500円でした。

     

    佐藤幸雄とわたしたち

    新メンバー、柴草玲さんが急遽アコーディオンをもって駆けつけてくれ、嬉しいサプライズ。佐藤さん、POPさんと同じく「役にたってる感じ」の方に違いない。

    大地をゆるやかに進む鉄道のようなドラムと、そこに穏やかに、時に鮮やかに入る美しい音色のアコーディオン、いつもにまして若々しい佐藤さんの生声。3人で店頭で演奏する楽しさに溢れ、自然にまとまっていた。

    813日ひかりのうまでの柴草さんお披露目の研ぎ澄まされたインタープレイにも痺れたが、このメンバーでのいろんな可能性、まだ見ぬ未来に期待を膨らませてしまう!

    PR

    calendar

    S M T W T F S
     123456
    78910111213
    14151617181920
    21222324252627
    282930    
    << April 2019 >>

    selected entries

    categories

    archives

    recent comment

    • 佐藤幸雄とわたしたち 山本精一 7月29日@難波ベアーズ
      Munion (09/08)
    • 佐藤幸雄とわたしたち 山本精一 7月29日@難波ベアーズ
      ACO (09/04)

    recommend

    links

    profile

    search this site.

    others

    mobile

    qrcode

    powered

    無料ブログ作成サービス JUGEM